先月のとある夜、自宅の風呂につかりながら使っていた愛機 iPhone 3GS を、ツルっと手をすべらせ、湯船のなかに水没させてしまった。
とっさに拾いだしたものの、みるみる液晶への浸水がはじまり、風前のともしびのように一瞬光をはなったかと思うと、またたくまに消灯。それ以来、完全にお亡くなりになられてしまいました。
ちょうどその週の直前に iPhone 4S の予約をすませていたこともあり、短期的に他の代替機に乗り換えることもままならず、しかたなくその iPhone 4S が到着するまでの1.5週間ほど、「スマフォなし」「ケータイなし」な生活をおくってみた。
望むことなくやってきた旧世代的なライフスタイル、まるで8〜90年代にレイドバックしたような生活ではあったが、便利なものは使わなくなってはじめてその便利さに気づくというもので、あらためてスマフォを使わないで過ごすことでいろいろな発見があったのでブログにも記録しておく。
まずスマフォなし生活をおくるわたしに課せられた1つめのタスクは、
- 土曜日の午後1時半に、実家の母と JR 石川町の南口改札で待ちあわせる
であった。
そこでまず、それまでスマフォが代替してくれていたため持たなくなってしまったモノ(道具)がいかに多かったかということに気づく。
たとえば「外出先で待ち合わせする」というタスクを完結させるために、以前だったら、
- 腕時計
- 時刻表
- メモ帳
- ペン
- ポケベル

- 伝書鳩

などが必要だった。さらに、どちらかが待ち合わせに遅れたら、
- 駅の伝言板
- マイ・チョーク
なども必要だったはずだが、それらはもうとっくの昔に捨てたか、持ち歩かなくなってしまっていた。
しかたなく実家の母には、事前に待ち合わせ場所の地図を FAX で伝え、文房具屋さんでチョークを買い、新沼健司から鳩を借り、長女(9歳)から誕生日プレゼントとして買ってあげた腕時計を借り、出かけることにした。
さらにスマフォがないとなると、待ち合わせという行為に対して異常に用心深くなり、予定時刻の20分前には待ち合わせ場所に到着してしまい、何もない石川町の南口で、一緒にでかけた次女(4歳)と2人でぶらぶら時間をすごすはめになってしまった。
結果的には無事に母とおち合うことができたのだが、スマフォがないだけで、日常のなにげない行為にドキドキ感のあるドラマが感じられ、文明の利器の便利さについて実感させられた、そんな週末であった。
そこでハテとふりかって、なんでわたしはスマフォを使っているのかを考えてみた。
『便利だから』
うん、あたりまえだ。何が便利なのか。
『いろんな機能があるから』
そうだ、いろいろ調べられるし、自分にいろんな機能が追加されて、まるでパワーアップしたような気にもさせてくれる。
いや、でもそれらを他の手段でやりとげる能力、もとから自分に備わってなかったか?
しかも、使わないうちにいつのまにか退化してたりして……
外部から機能をプラスしたことで、知らず知らずマイナスされていた能力を、むかしは何かしら工夫しながらやりくりしてた気がするぞ。
てなことをキッカケに自問自答がはじまっただが、そろそろ長文になってきたので続きは(下)へ…… つづく ![]()